ふと感じたことを、特に残す必要もないと最初は思ったけど今感じている事は以前、以降自分でも共感出来なくなるものだから、今の感覚はなるべく書き起こしておこうと思ったので書いてみることに。
年月を重ねる重みは記憶の重みに過ぎないのかもしれないし、その時の風景とか、色とか温度とか、匂いから感情も左右されるようになってきた。
だからなるべく感じたことは残してみることにする。
最近タスクは絶えずあってスケジュールもある程度は詰まっていて、動きまわってもいるのだけれど、そんな今の自分の状態に、子供の頃に見た映画に出てくるビジネスマンの印象を思い出す。
映画のシナリオの一つの定石として、しがない一雇われ社員は会社に流され、仕事に忙しく、ストレスに晒され、家庭にもどこか落ち着けず、絶えずどこか疲弊し、何故か孤独を感じてしまい、人生に虚しくなりかけている。
そんなキャラクターの状況は、シナリオ上では如何様にも変えられる。
でも俺がここで疑問に思っていたのは、劇的に人生が変わる前の彼の行っていた”仕事”だ。
正確には一体なんの”仕事”をしているのかよく分からない”印象”。
それは当然俺自身が仕事がなんなのかよく理解できないほど子供だったという事もあるし、何より業種によって行っている専門的な仕事の描写を詳細にしすぎても、それはシナリオ上重要な部分でない事が多い。
シナリオ上の設定としての”仕事”。
それはシナリオのテーマによって大きく変動する部分ではあるが、その”仕事”が単なるその後人生が大きく変動していく”ギャップ”に過ぎないパーツであるとしたら。
その”仕事”を絶えず処理している状態は、それを行っている本人としては”なんの仕事をしているのか分からない”状態でも構わない。
今の俺はそんな感じ。
仕事の内容も分かるし、どう処理すればいいのかも分かる。
でも、全体として俺自身が自分の仕事に感じている印象は”一体今俺はなんの仕事をしているのだろう”という感覚。
様々な話の中で語られてきた、主体性がなく仕事をこなしているビジネスマンの感じ、子供の頃の漠然とした大人の印象。
こと”仕事”というイメージに関して、最近の俺の”感じ”はそんな”彼ら”に抱いていた”感じ”に重なる。
出来る仕事に退屈さを感じている。
退屈さを感じてはいるけれども、主体性を持ってより巨視的な視点を持てないが故に先に進めない。
今のところ画板に描かれた自分の描いたものの前に立っている時はそういった感覚を忘れて自分自身に興奮できる。
俺が創っている物の中で、唯一周囲の評価が無くても安心できる。
そんな青くっさい感じに浸れる。
普段の仕事の中で頭働かしてフレームの中に見えてくるロジックに気づいてゆく楽しさもあるけど、それだけだと何してるのか分からなくなってくる。
多分もっと大枠が見えるほど頭良かったら楽しいのかもしれないけど。
使命感、義憤、復讐、自己陶酔、形はどうあれ自分が納得して魂を燃やせるものをどこかしら求めているのだろうか。
”楽しさ”とかでなくて。
取り敢えず今の俺は、注意力散漫になっている。